【みそかつくんのたまたまコラム】貧乏な同級生の話

小学2年生の時に、K君というとても貧乏なクラスメイトがいた。イニシャルはKなのだが、少ない名字だと思うのでK君とする。

このK君と私は仲が良かったのだが、2年生の後半に転校してしまった。しかし、私の記憶に鮮烈に刻み込まれているので今回はこのK君の話をしようと思う。

K君と私の出会い

出会いという大仰なものはなく、小さい学校で2クラスしかなかったため、2分の1の確率で同じクラスになる。私とK君は2年生で同じクラスになった。

小学校は幼稚園からの同級生が多かったが、K君はそうではなく、地元の子でもなかったと思う。言葉がどこか標準語のようだった。

そんなK君は、ピアニカが黄緑だった。他のクラスメイトは学校指定の水色のピアニカだったのだが、K君のピアニカはシールがベタベタ貼ってある黄緑の丸みを帯びた謎のピアニカだった。

そのピアニカがあまりにも不思議だったので、K君に声をかけたのが最初の交流であったと思う。

K君は仲の良い友達があまり多いようではなく、口数も少なかった。しかし、私はなぜか興味津々でK君とよく話をしていた。最初は鬱陶しそうにしていたK君も少しずつ話をしてくれるようになった。

そんなK君は、すごい家庭事情だったのである。

K君の家庭事情

K君の家はとても貧乏だった。本当に漫画に出てくるような貧乏家庭である。

まず、K君は毎日服が同じである。体育のある日は体操着を着てくるのだが、他の日の服は全て同じ。汚れを隠すためか、暗めの服であった。臭いは覚えていないが、夏はなかなかのものであったと思う。

K君はよく遅刻をする。朝のホームルームにいたことがまずない。これは後から分かった事なのだが、新聞配達をしていたようである。

朝早いので家に帰って二度寝をしてしまう。だから遅刻をしていた。昭和の話ではない。平成中期の話である。児童相談所に行けば親が間違いなく何かしらの罰を受けるに違いない。

次に、ランドセルがなかった。謎の手提げカバンを持ち、登校する。靴もスニーカーとは到底呼べない代物で、ほぼスリッパのような靴であった。靴下はもちろん履き回し。あまりにも貧乏すぎる家庭事情である。

私は好奇心が抑えられずK君にカバンのことを聞いた。そうするとK君は「ランドセルがない」と答えた。ランドセルがない小学生はおそらくこの令和の時代にほぼ存在しないだろう。

学費も未払いであった。先生から茶色い封筒を皆の前で渡されていたのだが、後になってそれが学費の滞納通知だという事がわかった。茶封筒イコール学費未払いである。K君は茶封筒常連であり、いつも恥ずかしそうに封筒を渡される姿が悲しげであった。

授業参観の日はK君はとてもテンションが低い。お父さんが来るのだ。そのお父さんは畑仕事をしているのか何なのかわからないが、格好が汚い。ホームレス同然である。

そのお父さんは授業参観の度にK君の名前を叫ぶ。「早く答えろよー」とか、「わからんのかー」などとヤジを飛ばしていた。K君はそんなお父さんが恥ずかしかったようだ。

K君は家で食事をしていない。断言はできないが、給食の時間にいつもは優しいK君が阿修羅の形相で貪り食うのだ。器に顔を突っ込み、激しく食べる。

クラスメイトが引くくらいの食べっぷりだった。土日は学校がないので、月曜日は特に凄まじかった。何かが乗り移ったかのように食らいまくる。よほどお腹が空いていたのだろう。夏休みや冬休みによく死ななかったな、と思う。

お父さんはホームレス同然、お母さんは消息不明、食事はしていないし、ランドセルもない。服も毎日同じK君。そんなK君は突然、自宅に私を招待した。

K君宅へ遊びに行った話

正直、K君の家にテレビゲームの類は絶対にないと確信していた。当時64や初代PSに憧れていた私はすこし行くのが嫌だったが、放課後にK君の家を訪れた。

ここ、とK君が指をさした家は、バラック小屋だった。田んぼの真ん中にあるような倉庫のような家である。家に上がると、とにかく暗い。現代のシーリングライトやLEDはもちろんないのだが、普通の電球ですらない。なにかオレンジがかった色だった。床はギシギシ軋むし、壁は黄色いし、色々なところにバケツが置いてあった。(雨漏り用だと思う)

何もないよとK君が差し出してきた液体を飲む気にはならなかった。本がそこにある、と指さした本には図書館のシールが貼ってあった。率直な感想は「すぐに帰りたい」であった。

お父さんは何をしているのかわからないが家におらず、とりあえず宿題をすることにした。「早くしよう」とK君は言ったが、早く終わらせたところで何もない。近所の公園にでも行くのだろうか。

1時間くらいすると、電気が消えた。真っ暗になったのである。不思議に思っていると、「うち5時になったら電気消えるねん。つぎは隣の家の番」

意味が分からなかった。あとで気づいたのだがK君の家は平長屋で、何軒かと電気代を折半しているので電気のつく時間が決まっているらしい。朝の数時間と昼の数時間がK君の家の番だったようだ。

真っ暗なので、夜何をしているのを尋ねると、「朝新聞配ってるから早く寝てる」と答えた。悲しすぎる家である。あ、もちろんテレビはない。大家は計画停電のオリジナルシステムを作る前に、各家庭に電気メーターを取り付けたほうが早いと思う。

トイレも借りたが、トイレも水洗ではない。汲み取り式だ。水をどうやって流すのか聞いたら、○曜日に取りに来ると答えた。そういう問題ではない。1週間に1度しか回収に来ないので悪臭が酷かった。人間の住む家ではない。

お母さんの姿は最後まで見なかった。シングルファザーだったのだろうと思う。

うちは電気とお風呂があってよかったなあ、と思いながら帰路についた。

K君の転校

ある日、突然担任がK君の転校を告げた。クラスメイトは関わり合いが薄いため反応はあまりなかったが、私は少し寂しかった。

最後の日にお父さんとK君が私に今までありがとう、と声をかけにきてくれたことを覚えている。K君はいつもの服であったが、お父さんは少しマシなユニクロのCMみたいな服装で学校に来た。軽トラックで去る2人をクラスの窓から見て、私とK君の交流は終わりを迎えた。

K君の話はこれで終わりなのだが、転校前、ある時に新聞屋でK君を見た事があり、お爺さんから封筒を受け取っていた。その時のK君に声をかけると、2000円もらったと嬉しそうに答えた。その時の笑顔が忘れられない。

最後に

18歳以下の子供を持つ世帯に1人あたり10万円給付するというニュースを見てK君の話を思い出した。

現代ではこんな家庭事情の子は絶対に存在しない。何なら金持ちが大半を占めるだろう。

K君に10万円を支給したい…

世の中は不平等だなあとニュースを見て思ったので、K君の話を書いた。というより、今の子供に10万円いるのだろうか?

年収850万円で子供が2人いるタワマンに住んでいる家族は20万円もらえて、給料日前に家を漁って1年前のラーメンを煮込んでいる独身の私は何ももらえない。人は皆平等などと、どこのペテン師の言葉か知らないが、ただひとつ。人間は愚かだ。

そんな話はもうどうでもいい。私1人が吠えたところで世の条理は変わらない。

あんな時代もあったねといつか笑える日が来るように、とりあえず今を生きてみようと思う。政府は私に10万円ください。おしまい。今回もありがとうございました。

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