【避難生活体験談】中学生の3.11避難所での生活

2011年の3月11日に、東日本大地震が起こりました。
あの大地震、大津波の被害は、一生忘れることはできません。

私は被災地と呼ばれる、東北地方の青森県内の学校に通う中学生でした。
その時に、被災し、避難所での生活を経験しております。

とてもツラい思い出ですが、あの時の経験は、今でも私の生き方、人生観に影響を与え、避難所での生活では、なによりも私自身をタフにしてくれたと思います。

地震発生当時、中学で午後の授業を受けておりました。
何の前触れもなく、いきなり地震がきて、とても揺れました。
最初は弱い揺れでしたが、段々強くなっていき、教室では机の下に座って隠れていましたが、座っていることもままならないほどの揺れでした。揺れは2分以上続いていたと思います。

揺れがおさまりましたが、今までに経験したことがないレベルの揺れで、私達生徒も先生もパニック状態でした。
授業は途中で終了し、生徒は下校されました。

家に帰ってからは、両親が仕事から帰ってくるまでとてつもない不安におそわれました。
水道は止まってしまい、水を使えず、停電で電気も使うことができず、テレビが見れません。
ー当時はスマホなどのツールを持っていなかったので、情報が入ってきませんでした。

夕方頃に両親が帰ってきて、その日は自宅にあった冷蔵庫の中から食べられる物を食べて、そのまま眠りました。

次の日から、避難所での生活が始まりました。
避難所は苦痛でした。

町内の大半の人が、地元の体育館に集まり、家族単位で限られたスペースでの生活で、プライベートな空間はありませんでした。

冬に時期でしたが、停電で暖房が使えなくてめちゃくちゃ寒く、その環境に耐えられず、体調を崩す人もたくさん出ていました。特に夜から朝にかけては地獄の寒さでした。

食事に関しては、自衛隊の方が炊き出しをしてくれていたので、わずかですが、暖かいご飯を食べられました。お腹いっぱいに食べることは出来ず、ストレスを感じましたが食事の時間が何よりの楽しみでした。

2、3日ほどの避難所での生活で、その後自宅に帰り、少しずつ元の生活に戻っていきました。

不幸中の幸いで、私たちの地区では津波の被害がなく、死者は出ておりませんが、沿岸部の地域では、津波による犠牲者が多数出ておりました。

停電が復旧してからlテレビのニュースで見た津波の映像の衝撃は忘れることができず、とても衝撃を受けました。

東日本大震災から10年以上たち、あの時のことを思い出すと、今現在、普通の暮らしができていることに、幸せを感じます。

この記事はランサーズにて災害時の避難生活の体験談についてで募集しました。

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