【みそかつくんのたまたまコラム】俺たちのベイスターズ

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今回はみそかつくん 3回目です。

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俺たちのベイスターズ

【著者みそかつくんTwitterより】

前説

筆者はアンチベイスターズと言われているが、アンチではない。
過激派ファンである。真理を突き詰めればベイスターズファンは皆アンチであり、ファンなのである。(言いたいことは分かるであろうと思う)

漫画でも無いようなお粗末な負け方を見せられ球場で泣き、警備室に連れていかれることもある。ベイスターズファンをしていて泣かない人間はいない。

高い料金を払い、遠征をして、開始20分で相手のスコアボードに8が刻まれてもファンでいられることがおかしいのだ。

ベイスターズファンは皆(検閲により削除されました)のだ!!!

私のベイスターズ観

取り乱したが、話を続ける。

私がベイスターズに興味を持つようになったのは2004年ごろであった。
当時は地元チームであるオリックス・ブルーウェーブのファンだったのだが、まもなく合併問題で消滅してしまい、ブルーウェーブのファンだった小学生の私は途方に暮れた。

すると、誰のアドバイスだったかは覚えていないが、東の方に海があってチームカラーが同じ青の球団があるからそこを応援したら?ということで、私はベイスターズに興味を持ち始めた。これが、地獄の始まりであった。

そもそも、青色が病的に好きで、海は生命の源だと思っていた私は横浜という都市にも憧れを抱いた。横浜スタジアムに行ってみたい、という気持ちひとつでベイスターズを応援し始めたのだ。

98年に優勝、日本一になってから横浜ベイスターズはゆるやかに下降の一途を辿っていった。
いわゆる、98戦士といった選手が移籍やトレードでいなくなっていったのである。

他のセ・リーグのチームが強かった時期でもあった。
巨人をはじめ、打のスター揃いの阪神、落合中日と強豪ぞろいの中、まだ無垢な私は横浜ベイスターズの優勝を信じて疑わなかった。

家から一番近い球場が甲子園なので、2005年から甲子園に足を運んでいるのだが、観戦成績は10何勝で40敗くらいしている。
これだけでもどれだけ当時のベイスターズが凄まじい弱さだったかを物語っている。思い出したくもない試合ばかりである。

初めての遠征は2008年、高校生になって夏休みに行った広島市民球場であった。

少しのお小遣いと、無理を言って出してもらった新幹線で夏休みの満員の新幹線こだまで新神戸から広島まで立ちっぱなしで行ったことを覚えている。

初めて一人で降り立った広島、当時はオンボロ球場だと言われていた広島市民球場にも感動した。

2008年といえばベイスターズが大暗黒時代だと言われていた真っ最中であった。7月にもかかわらず、ベイスターズはもはや最下位確定。ニュースで見る横浜スタジアムも土日でも閑散といった有様であった。

しかし、私はベイスターズの試合が広島市民球場で生観戦できること自体に感動し、開場とともに夢と希望を膨らませて球場に入った。

球場から見える新幹線、赤い服を着た人の群れ、そこには非日常が広がっていた。当時は応援歌もほぼ覚えていなかったので、広島ファンに囲まれたレフトスタンドの一角で応援歌を聴きながら手拍子だけをしていた。

ちなみに試合は同点で迎えた9回裏に、横山道哉がアレックスにツーランを打たれて敗戦した。高い交通費を払ってきた私はショックだったが、まあこんな試合もあると思い、帰路についた。

2日間の旅行だったので次の日も広島で原爆ドームや広島城を見た後、広島市民球場に向かった。

4-1の3点リードで迎えた終盤、またも中継ぎがつかまりアレックスにスリーランを打たれ追いつかれた。

10回に入り、新幹線の終電に間に合わないくらいの時間になっていた。しかし、結果はベイスターズの勝ちを信じてやまないあわれなベイスターズファンを嘲笑うかのようなシーボルのサヨナラグランドスラム。

母親から怒りの電話が入り、劇的な負け方をした私は拳を握ったまま途方に暮れた。隣の戸叶ユニフォームを着たおじさんは文字通り頭を抱え、肺の奥から絞り出すような呻き声をあげ、啜り泣いていた。

これがベイスターズであった。
雨のそぼ降る観客5000人の横浜スタジアムに寂しくこだまするオリックスの「代打グラボースキー」も耳にしたことがある。

後で知ったことだが、当時のベイスターズは練習はおろか、あいさつもまともにできなかったという。
中畑清が監督をしたときに躾や礼儀作法からの問題だと言っていた。もはやプロではない。草野球チームでもキャッチボールくらいはする。

2010年あたりから私はベイスターズの試合中継を観なくなってしまった。
球場に足を運んだが、ドラフトも見ず、選手の背番号も分からない時代があった。

2013年から親会社がTBSからDeNAにかわり、集客のための営業努力と補強を積極的に行うようになった。前監督のラミレスや、中村紀洋を招聘したり、モーガンやブランコといった外国人補強にも力を入れはじめた。

それから4年の月日が経ち、横浜ベイスターズはクライマックスシリーズを勝ち抜き、日本シリーズに進出した。

そこで私が思ってしまったのは
「これで万が一日本一になったら、それ以上がないから来年から何をモチベーションにして応援すればいい?」ということだ。

私自身、弱いベイスターズ、艱難辛苦に耐え忍ぶ姿こそがベイスターズファンの真ある姿だと思っていたこともあった。
しかし、第6戦で山﨑康晃が内川にサヨナラを決められたときに今までにない悔しさを感じた。

過去にまた負けた、弱いなあと思いなんとなく応援していたチームがこれほどの高みまで来て、日本シリーズで敗退し、悔しさを感じたのである。

そこから私の中の「ベイスターズ」像が変わったような気がする。同じ艱難辛苦でも、強い敵に立ち向かい負けても挫けないのがベイスターズである。

ベイスターズとは負け続けてきたチームであり、強大な敵に立ち向かっていく強いチームなのだ。
決して弱い弱いと傷の舐め合いをファン同士でし合うようなチームではない。世界で一番誇り高きチームなのである。

ファンの姿も変わった。
暗黒時代に応援していたファンで、「横浜ベイスターズ」から離れてしまったファンもいるが、「横浜DeNAベイスターズ」に惹かれ、新しくファンになった人もいる。

その人たちのためにもベイスターズには強くなってほしいし、横浜の街から「横浜にはベイスターズがある」と胸を張って言ってもらえる存在になってほしい。

コロナ禍が終息し、また横浜スタジアムに歓声が戻ることを待ち望んでいる。
今年のスローガンが横浜反撃に決まった。横浜ベイスターズの反撃の歴史に新しい1ページが刻まれる2022年シーズンを楽しみに、ベイスターズファンで良かったと思える日が来ることを信じて私はベイスターズファンであり続けたいと思う。

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