【コロナ禍体験談】コロナ禍における人間関係

コロナ禍と言われしばらく経ちましたが、私の日常生活や周りの人間関係がどうなったか等を話したいと思います。

コロナ禍でよく聴いた言葉が「絆」です。
コロナ禍で絆が絶たれたとか、絆を強く感じたとかよく聞いたと思います。

しかし、一体私達はどれくらいの絆を持って生活していたのでしょうか。

実際なかなか友達に会えなくて寂しいという人も多かったでしょうが、実際は「そんなに寂しくない」や「疎遠になったけどそのままでも大丈夫」という人も多かったのではないでしょうか。

しかし口に出してそれを言えば「冷たい人」と思われるかも知れないので黙っている人もいるでしょう。

私もそうでした。
実際友人に会う頻度は減り、一人で過ごす時間が増えました。

しかし不便な生活のなかでも充実はしていたと思います。
逆に何故友人と一緒に居なければならなないのかと考えた場合、それは自分と言う存在を認めて貰える場だったからではないでしょうか。

その友人の事が好き、ではなくその人と居ると自分が気持ち良い感覚になる、存在を確認できるという承認欲求のような物だったのではないでしょうか。

しかしコロナという未知のウィルスの脅威にさらされている状態では承認欲求より自分の命です。
決して大切な友人とウィルスを測りにかけたのではないのです。

そうなると段々分かって来るのは本当に大事にしたい人の存在です。

会えなくて段々と思い出さなくなる人、会えないから気になって仕方ない人がはっきり分かれます。

友達は沢山いる方が良いとか、少なくても信頼できる友人が居る方が大事だとか人それぞれ価値観は違います。

しかしこういった事態になると自分にとって本当に大切な人が見えて来るものなのです。
そして「一緒に居たい」という感情より「元気にしてるかな」とか「絶対また会いたい」という気持ちになります。

コロナ禍になってから全く連絡を取らなくなった友人が沢山います。
LINEの数も随分減りました。しかし、遠方に住んでいる大事な友人には時間を見つけては会いに行っています。

そして、そのような友人とはその他の友人とは違った特徴があります。

それは会話です。

疎遠になってしまう友人とは「最近会えてないよね、次いつ会う?でもコロナ心配だよね、もう少し様子見てから会おうか」という会話が多く結局は会う事はないのです。

しかし、大事に思える友人とは「次いつ会う?〇〇日空いてるからその日にしよう」とまるでコロナ禍ではないような会話で約束をします。

もちろん、感染対策はお互いしっかりして密にならない場所で会います。

絆って無理に探したり作ったりするものではなく、自然と出来る物なんだと実感しました。

この記事はランサーズにてコロナに関するエピソードで募集しました。

コロナ禍体験談一覧

スポンサーリンク
体験談
ケチャップかみをフォローする
万人雑記

コメント

タイトルとURLをコピーしました