【避難生活体験談】寒い中でご近所さんと連携【阪神淡路大震災】

阪神淡路大震災の際に最初で最後の避難生活を送りました。

家屋が倒壊するほどではなく、ただし近所もみなライフラインはとまり、揺れで家の中はぐちゃぐちゃ。

幸いなことに知り合いで全く死人、怪我はなしでしたが中学の体育館で我が家は2週間避難生活を送りました。

わたしは当時、大学生でテスト前で帰省しており、とにかく驚くばかり。

幸いなことに道路が動いていましたので、ボランティアの方々に頼ることなく、自分たちで物資を調達することができましたし、50人ほどの避難の方々と一緒に交代で私が運転してお風呂にいったり、ちょっとした買い物も時間をかけてまとめていけるような状態でした。

これに加えて仕上げボランティアの方々からの物資の補給や毛布の提供などありましたので、比較的恵まれていたのではないかと思います。

それでもお年寄りの方々は自分の家が本当に大丈夫か、いつから避難所から出られるかなと不安に感じておられ、定期的にメンタルケアを行うために実際の方々や医師が訪問してくれていました。

私自身の家族は2週間で避難生活を切り上げたのでそれほど苦労しませんでしたが、実際には1ヶ月以上避難生活を強いられた方々もおられ、精神的に病んでしまった方々もいました。

しかしながら、幸いなことに近所の皆さんが協力することによってある程度ケアはできましたし、持て余してしまう子供たちの面倒を見たり、自分たちの家がどんな状態になっているかを定期的に見に行くなど、自然と協力体制ができていたのは非常によかったのではないかと思いました。

それでも、このような状態に陥ったことによって普段は冷静な判断を行う方々にも少し攻撃的になったり、フォローをしてくれない家族に対する不満を述べたり、自治体の職員の方々に対して攻撃的な言葉を述べるなど気になるところはありました。

この時に感じたのは、非常事態の時にこそ人間の本性が現れるのではないかと言うことです。

普段と違う姿を垣間見ることになり、まだまだ大人ではなかったとはいえ、良い面、悪い面がありました。

また、2週間といった限定された期間なので、逆に家族とのコミュニケーション、祖父や祖母も私のことを本当に可愛がってくれていることがよくわかりました。

実際にわたし自身もいろいろなところに目を向けてヒューマンコミュニケーション能力を磨けたのではないかと思います。

結果、地元を離れる方もおらず、コミュニティの絆も深まったとおもいます。


この記事はランサーズにて災害時の避難生活の体験談についてで募集しました。

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