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SHATIKU
出典: ニセ百科事典『カクーペディア(kakupedia)』
『~SHATIKU~』(しゃちく)は2022年に放送予定の実写映画である。主演は雨宮宮司、眉間美羽。出演者はマツゲ・キワワ、二矢川ワニ、谷川崖尾など。
作品情報【編集】
舞台は、2050年代の近未来。
その頃には人類は、言葉がなくてもコミュニケーションを取れる時代だった。
しかし、一定数は昔の習慣にとらわれている集団がいる。
その集団が「みーと」と周囲からは蔑まれている存在。
ある時「みーと」に属する男「ニア」と女「べあ」が知り合うきっかけになったのも「みーと」に対するテロ行為だった。
ニアとべあはとある廃墟となったホテルで「社畜」という言葉が書かれたノートを見つける。
「モジ」を必要としなくなった現代では二人とも読むことができず、知り合いの「みーと」に属する老人エイゴロウを訪ねた。[1]
そのノートに書かれていた言葉とは、書いた人物は誰か?
二人の旅がはじまった・・・。
ネタバレ【編集】
文字も言葉も持たない人類しか地球に存在しないのではないか?という問題提起をする作品。[2]
地球人と呼ばれるものが「みーと」それ以外が宇宙人なのである。
姿かたちは似ていても、コミュニケーションや記録に関しては全くの知識もなく「学ぶ」ことすらない。
「みーと」は、学びたかった。コミュニケーションを取りたかった。
人と触れ合うということがどれだけ素晴らしいのかを共有したかった。
けれど、そういう時代がかつてあった事をエイゴロウに聞かされてしまう。
憎み合ったり、罵りあったり、貧富の差が激しく、労働格差もありホームレスや自ら命を絶つもののいたことを。「お金」という財産がないと生きてはいけないこと。
「社畜ノート」には、死ぬほど働かされたサラリーマンが家にも帰れず会社から飛び降りたことも。[3]
内容の小ネタ【編集】
「サラリーマン」「お金」「社畜」「自殺」「コミュニケーション」など我々には大いに関係のある言葉ですが、演じる役者は初めて聞いた言葉なのでイントネーションがおかしい設定にしなくてはならず出演者全員は大いに苦戦した。[4]
主に、主演の二人は「言葉」を持つ人間役なので、アテレコですむ宇宙人役とは訳が違うので時々共演者を責め立てる場面もあった。
それは、Blu-ray初回特典映像として販売予定。
可愛くじゃれあう二人の姿も必見である。[5]
制作エピソード【編集】
未来都市と昔の日本を表現するためにロケ地として選ばれたのが「海山村」と「山川島」
他にも「所店」「きなこ駅」などがある。
「みーと」のエイゴロウのシーンは山川島にて撮影したが一年のうち3日しか雨が降らない[6]ことが有名の島で一週間滞在したが一日も晴れず、晴れのシーンは合成で作られた。
数々の映画作品に携わっている撮影人も出演者もこれには驚いた。
「きなこ駅」は、もっと暗い感じにしようと演出され、後に市役所から怒号を浴びる羽目になるなど、数々の問題を乗り越えた作品である。[7]
社畜ノートを本格的にしたいという監督の依頼の為、スタッフがノートをTシャツの中に入れて汗臭い臭いやシミをつけた。また、ツライ思いを表現するためと歴史を感じされるために道路に置きっぱなしにしたり、踏みつけたりという工夫もされている。[8]
そこまで一冊のノートにこだわった監督もみたことはないが、苦労の結晶であるからこそ是非、注目してみて欲しい。
評価【編集】
恐らく、近い未来はこういう感じなのではないかと思わせる作品だった。
小説「絶景へっけ」にも書かれていたが、未来はごく少数のコミュニティだけになってしまい、性行為も食事も何もかもが必要とされない時代。
その小説に少し似ている感じがした。
恋人という関係や恋愛などもなく、嬉しいことも、楽しいこともない。
お金がなくても食事や住む家があり、しかし労働も学びもない。[9]
「ただ、生きている」という状態。
何も生み出さない、生み出す必要がないということを知ると、何のために生きているのか分からなくなってしまった。[10]
「みーと」のように、昔の日本を懐かしみ知ろうとする人がいなくなってしまうのかもしれない。
人の感情に興味もなければ「ありがとう」[11]という言葉さえ使われなくなっていくのは悲しい。そんな風にも思う。
けれど、働いても働いても暮らしもままならず、自らの命を絶とうとする人がいる時代は羨ましくもない。
では、どうすればいいのか?そういう問題提起をさせられている気がする。
主人公の二人が偶然みつけた「社畜ノート」は、必然的で辿っていく過程もドキドキしてしまった。まさか、エイゴロウの父親[削除申請中]だったとは。
エイゴロウが、話す様子を思い出すと納得もするけど。
やっぱりそういう役どころは重鎮にしないと、映画の重みが全くないもんね。
事前に「映画ばんじゃい」の紹介コーナーで知っていたのでノートには注目しました。
映画なのに、臭いが伝わってきそうなくらい汚くてボロボロでそこまでやったら文字が消えるだろう?残ってるのが不思議。という状態。監督の本気はどこに向かってたんだろうと見終えたあとふと考えてしまった。
近未来系の映画が好きな方にはお勧めの作品です。
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