コロナに対する考え方は人それぞれ違っていて、それは家族や友人のような非常に身近な人物でさえ当てはまります。
実際、私もワクチン接種の件で家族とはかなりもめましたしね。
緊急事態宣言や、蔓延防止法の効果についても、いろんな意見が出てきます。
個人的な感覚でいえば、コロナ全般の問題について、自分と100%意見が一致した人っていないように思います。
ある部分では賛同しあえるけど、ほかの部分では意見が合わない、みたいな感じ。
テレビを見ていても、テレビ各局で違った報道がされていますし、コメンテーターの発言もなんだかよくわからない。
ネットの世界も混とんとしていて、いろんなデマが流れています。
それらの中から、真実・正解を見つけ出すのは容易なことではなく、最終的には自分の判断にゆだねられる、というのがここまでのコロナ禍で出た私なりの結論です。
周りの人に流されるのではなくて、自分で情報を精査し、納得して行動していくことが大切なのではないでしょうか。
周りに流されることもそうですが、個人的には人に自分の意見を押し付けるのはもっと良くないと思うんですよね。
そんな風に感じた出来事があります。
いや、意見を言うのは全然いいと思うんですよ。
そういう考えがあるんだなと新たな発見になりますし、自分にとってプラスの情報かもしれません。
私がここで言っている「意見を押し付ける」、というのは、例えば自粛警察や、マスク警察のような、自分本位の正義感でもって、他人に対して強圧的な態度をとるといったようなことです。
私は、健康維持の一環として、もうかれこれ10年以上毎日ランニングをしているのですが、その中で非常に不愉快な出来事に遭遇しました。
季節は夏で、連日猛暑が続く非常に暑い日でした。
コロナ禍ではあるものの、ランニング中のマスクについては、政府や自治体からも、”マスクをしなければならない”という義務のような発言はありませんでした。
なので、当時私はマスクをすることなく、ランニングをしていました。
ちなみに、私がランニングをしている場所は、そもそも人通りが少なく、なおかつ道幅も広いため蜜状態ではありません。
そんななかで、ランニングをしている最中に、後ろから、「あいつもマスクしてないぞ!」と大きな声で、恫喝されたのです。
振り向くと、50代くらいの男性がこちらを見ていました。
そしてよく聞き取れませんが、なにやら言っています。
完全に私に対しての発言であり、その人は顎マスクの状態で(おそらく、私に声が届くようにマスクを外したのでしょう)こちらをにらんでいました。
さすがに相手をするのは面倒だったのでそのまま走り去りましたが、気持ちはものすごくイライラしていてランニングに集中できません。
折り返し地点に到着した後、また先ほどの人物に遭遇するかもしれず、その日は迂回して自宅に帰りました。
帰宅後は、なぜ自分がこんな事(迂回)をしなければならなかったのかと、ある種の自己嫌悪にも陥りました。
ただあの時、立ち止まって相手をしていたら、もっと面倒な事態に発展していたかもしれませんね。そういう意味では迂回して正解だったようにも思います。
それにしても、ああいう人たちっていったい何の権限があって、あんな行動に出るんでしょうか。
もしもマスクをしていない私を見て、コロナをうつされる、危険な奴だ!と思ったなら、関わらずに立ち去ればいいだけのことではないでしょうか。
積極的に絡んでくるその心理がいまいちよくわかりません。
というか、マスクをする状況や環境も、考慮する必要があると思うんですよね。
日中で、しかも多くの人が行き交うような場所であれば、私もマスクをして走りますよ。
しかし、前述したとおり、現場は人通りが少なく、道幅も広い。時間帯も夜間。
これで感染するなら、なんというかひとたまりもありませんよ。
とっくの昔にみんな感染してます。
あと、季節が夏ということもあって、マスクをした状態で走るのは熱中症の危険が伴います。
「そんなことを言うなら、走るな!お前らの健康なんか知ったこっちゃない!」
と言われそうですが…。
まあ、この体験があって、私はマスクをして走るようになりました。
自衛というか、マスクごときで妙なトラブルに巻き込まれるのはごめんです。
効果がある、ないにかかわらず、とにかくしておこうと考えたのです。
それでも夏場はきついので(ランニング歴10年・フルマラソンを何度も完走の私ですが、本当に意識が朦朧としてきます)、顎マスクの状態で走り、人とすれ違う際には鼻まで覆うようにしています。
こんなことを言う私のほうが非常識なんですかね。
ちょっとコロナに振り回されすぎというか…。
数年後とかには、コロナ禍についてしっかりと結論が出ていて、あそこまで過剰に反応する必要はなかった、となっていそうな気がしてなりません。
いずれにしましても、もうそろそろコロナ禍から、精神的に脱却したい(コロナありきの生活に順応したい)ものです。
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