私は3月11日の震災で被災しました。
運がよかったことは、沿岸に住んでいなかったことです。
ただ、余震も多く、そのたびに震えていた記憶があります。
数日間は電気、ガスのライフラインは使用できませんでした。
幸い水道は使えました。その数日間はガスコンロでお湯を沸かし、情報収集はラジオをメインにしていました。
東北地方の3月はまだ寒い期間があり、暖房の使用もままならない状態であり、毛布などにくるんで暖を取りました。
ガスコンロ、ラジオ、スマホ(当時は携帯電話)の充電器(Ankerなどの持ち運びできるもの)は生活インフラには必要である。と感じました。
食事は缶詰、長期保存できるもの(乾麺など)を主に食べていました。
野菜は保存がきかないものは調理して保管しました(外気はまだ寒いのでそこで保存しました)
私は震災時スーパーでバイトをしていました。
レジが機能せず、お店を開いても仕方なかったですが、落下したものの処理があったので出勤していました。
お店は開いていなくてもお客さんは来るようで、その人たちには多少の商品は販売していました。
ただ、レジは機能していないので、電卓で値段の手打ちを行い、お金がない人には、後日支払ってもらう。という対応をしていました。
そこで驚いたのが、震災時であっても嗜好品を欲しがる人が一定数いる。
ということでした。震災後のお店で余震もあるので、お客さんをお店の中に入れることはしたくなかったので、欲しい商品を伺った店員が探してお渡ししていましたが、その中にお酒などの注文もありました。まぁ、悪いことではないんですが、心情的に「今必要かな」と思ってしまいました。
次に、ガソリンを求める車が数キロ並ぶ。ということがありました。
当時は震災後から暫くはガソリンが供給されることが少なく、それを求めて車が列をなすということがよくありました。
当時の私は原付に乗っていたので被害は少なかったのですが、そのような経験もあり今ではメーターが半分ほどになるとガソリンを入れるようになってしまいました。
震災では沿岸の被害がよく取り上げられます。
実際、甚大な被害を被ったのは沿岸に住んでいた方々です。
ただ私は、そのような場所以外の人も被災した。ということをもっと知ってほしいと思いました。
そして、このような事が起こった際にパニックにならず行動できるようにしておく備えや心構えを常にしておく必要があると感じました。
最近噂の南海トラフ地震の可能性もあります。富士山の噴火の噂もあります。この日本で暮らしているかぎり備えは常に必要だと思います。
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