ベイスターズ9年前ニュース『梶谷が球団の顔に!背番号「63」→「3」に』

2013年11月8日 06:00 スポニチ

侍ジャパンに初選出された梶谷に朗報が届いた。DeNAでの背番号「63」から「3」への変更が決定。プロ7年目の今季は、77試合出場で打率.346、16本塁打。「トリプルスリー(3割、30本塁打。30盗塁)を狙いたい」と主軸としての自覚も十分だ。

忘れられない映像がある。サッカー日本代表が初のW杯(フランス大会)出場を決めた97年11月16日のアジア第3代表決定戦・イラン戦。「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれる岡野の決勝弾だ。「何度見ても鳥肌が立つ。日本代表って凄いんだなって」と声を弾ませる。

台湾でも中心選手としての期待は大きい。「自分はまだまだの選手だし、日の丸のレベルには達していない。でも選んでいただいた以上、貢献したい」。背番号で大出世を果たした梶谷は、初の国際試合で、さらに自分の名を広める。

▽DeNAの背番号3 50年球団創設時の初代は、36年に阪神でプロ野球第1号本塁打を放った藤井勇。新チームの4番打者として活躍した。67年には新人の平松が1年間着用、投手の3番は珍しいケースだった。82~93年は高木豊が「スーパーカートリオ」の一員として活躍。その後は古木や種田ら、08年以降は外国人がつけていた。

◆梶谷 隆幸(かじたに・たかゆき)1988年(昭63)8月28日、島根県生まれの25歳。開星では1年夏からレギュラーとなり、3年夏に甲子園出場。06年高校生ドラフト3巡目で横浜入団。プロ通算184試合で打率・256、19本塁打、57打点、13盗塁。1メートル80、78キロ。右投げ左打ち。

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こはく
こはく

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あき
あき

梶谷選手がスーパーカジタニになってベイスターズの未来が明るかった

当時、私の脳内でトリプルスリーに最も近かった男

こはく
こはく

まあFAで絶対出ていくとはこの頃から確信してたのだ

2012年ベイスターズファンにトップクラスに叩かれた選手なのだ

あき
あき

2006年ドラフトで開花が2013年

やっぱりベイスターズの高卒は開花までめちゃくちゃ時間がかかる

こはく
こはく

この年に現れ、翌年以降消えた何でもヒットにする梶谷選手はどこに消えてしまったのだろうな…

あき
あき

ベイファンとDeNAの良心みたいに消えたんじゃないかな…

こはく
こはく

まあ「これだけ叩かれたら将来絶対出ていくわ」って叩かれ方して、案の定FAで出ていったのだ、そりゃ出ていくのだ

あき
あき

待遇良ければぎり残留してくれた可能性があるけど、DeNAは頭DeNAだからケチって出ていかれたね、巨人で怪我したっていうけど残してほしかったよ

こはく
こはく

グッズメチャクチャ売れてたと思うからそのお金年俸にまわして欲しかったのだ、梶谷ユニはめっちゃ居たのだ

あき
あき

花火代にでもなったんじゃないかな…

そして花火のように消えていった、今でもハイパーカジタニは夢に見る

こはく
こはく

ハイパーカジタニからもう9年か…

あの突然現れたヒーローぶりは当時見てないと分からないだろうな…

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