勉強は子供が大嫌いなフレーズです。
私も子供の頃は大嫌いでした。机に座り頭に内容を詰め込んでいく。遊びたい、走り回りたい盛りなので本当にイヤでした。
中学校に上がり、勉強内容はさらに難しくなります。
何をやっているのか分からなくなりました。
もう絶望、という感じで殆ど勉強はせず、成績も赤点まみれでした。
高校時代。中学時代の成績から、底辺校と言われる学校に進学しました。
ここで変化が現れます。そこそこ勉強ができる、点数がとれるようになりました。
周囲も似たレベルなのでなんかノビノビできたんでしょうね。
一度きっかけを掴めば成績はどんどん上昇します。ついには学年トップになり、偏差値も60近くまで上がりました。
「やればできる」と感じました。
周囲の反応も変わりました。
“アホ、バカ、勉強できない奴”扱いから、”真面目、秀才”扱いに様変わりでした。
先生からも目をかけられ、色々とアドバイスをいただける機会も増えました。
「これが勉強なんだ!」と感じていました。
次のステップが大学。底辺校からそこそこの大学に進学したわけですが、ここで一気に勉強をしなくなりました。
高校3年間で息切れしてしまったのですね。結果、1年留年してしまい、5年間通う羽目に。
勉強は全く手つかず、身が入らずで卒業さえできればいいという考えになっていました。
アルバイトや趣味のバンド活動はしていましたが、前述の通り大学そのものは力を入れて参加していなかったため、あまり友達もできませんでした。
周囲の目が高校時代とまた違いますね。あいさつ程度の人間関係。
私の事を覚えてくれている教授なんていませんでした。
卒業後もなんとなしにフリーター、就職、転職と、なんとなくその場で生活している感じです。
ここで最近ようやく気が付きました。
「勉強は一生続いている」ということを。
大人が「若い頃もっと勉強すればよかった」と言います。これは間違いです。
今も勉強はできるのです。
何が言いたいのか。その日その時を糧にいくらでも、いつでも勉強はできるのです。
そしてその結果、自身の生活や幸福度に影響が出るわけです。
もちろん出ないこともあるでしょう。しかしそれらを受け入れて、考えて行動しなければ先には進めません。
そう、先に進む=勉強、ということなのです。
勉強の質は軽視されがちです。量が多いから良いというわけではありません。
教育現場では勉強時間がクローズアップされますが、そうではなく、質が大事であることも知らなければいけないのです。
質の大切さに気付くとなぜ勉強しているのかの理解につながります。
歴史の年号を覚えることは、暗記力や方法を学ぶのだ。
数学の方程式は、閃きを鍛えているのだ。
このように質を振り返ることが大切なのです。ここでしくじってしまうとまさに「失」になってしまうのです。
私は勉強が必要な時、いつも「質」を忘れて「失」を抱え込んでしまいます。
人生難しいものです。
ふふふ、私も勉強は大嫌いなのだ
でも、雑学とかを調べるのは大好きなのだ
それもまた勉強よ
僕は、適当に選んだ本を読むのが大好きよ
色々雑学を調べていけば、いつか必ず4000兆円を稼ぐ方法が見つかる筈なのだ
今は雑誌一冊分の儲けだけどこの10兆倍ぐらい稼げるはずなのだ
こはくの頭の中の勉強は失しか無さそうね
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